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宮崎ダルクフェニックス作業所

 

  平成9年4月(1997年)に開所。平成20年4月1日に運営を「特定非営利活動法人 癒しの里」へ移行し地域活動支援センターⅢ型となり、現在は薬物依存型精神障害者本人活動支援事業となり運営を行っています。。

 作業の内容としては、主にミーティングとなりますが薬物依存症からのリハビリの為に、ここ宮崎ダルクフェニックス作業所では就労訓練を行います。

木工・縫製・ビーズ・トールペイント・金銀細工・印刷・皮革製品などを製作し、作品の展示・販売を行い社会参加への自立の第一歩として社会復帰の練習をしています。

 

 ■小規模作業所を運営しています。宮崎ダルク利用者達が自立訓練の為に通います。

 

 ■作業所での賃金の報酬はありません。レクリエーションや物品等の還元のみ行っています。お金を支払う事はしていません。あくまでも訓練の一環なのです。 

 

所長  河野 俊男(平成20年世代交代で指導員に転身) 

 DARC(ダルク=Drug Addiction Rehabilitation Center)とは、毎日グループセラピーを行っている薬物依存から回復したいという仲間の集まる場である。

ダルクの目的は、薬物を止めたい仲間の手助けをすることだけである。どんな薬物依存者でも、プログラムに従って徹底的にやれば必ず回復できるという希望のメッセージである。 

ダルクで回復している仲間が証明している。 

このプログラムは、 薬物依存者が社会の有用な一員として歩む時に出会うであろう様々な困難から乗り越えるための道案内である。 

司会者の話や提案は、 自らの体験から得た経験である。なお、 ミーティングでの話は外部に対して秘密とする。 

 

午前10時、 この言葉をきっかけにミーティングが始まる。 その日集まった薬物依存者各自が、 思い思いの話をする。 話をしている人以外はただひたすら耳を傾ける。 薬物を使ってかつてどうだったか、 今はどうであるか、 言いっぱなし ・ 聞きっぱなしのこのミーティングの中にこそ回復の原点がある。 薬物使用が病気であることも知らず、 周囲の人からは責められ、 それ以上に自分で自分自身を責め、 ボロボロになってダルクの扉を開けてきた薬物依存者の不安や苦しさでいっぱいのはずの心の中に、 ほんの小さな <安堵感> が生まれる。 「また、使ってるの!」 「どうしてやめられないの!」 という言葉の代わりに 「よくきたね」 「苦しかったでしょう」 「今日だけ一緒に……」 と、 声をかけてくれる仲間の笑顔に引きずられるようにプログラムが始まる。 ダルクでよく見かける風景だが、 14年前の私自身の姿である。  宮崎ダルクは1995年に全国で9ヶ所目のダルクとして開設され、 1996年に併設されたダルク女性ハウス九州とともに、 今日まで、 苦しんでいる薬物依存者に門戸を開け続けてきた。 九州はもとより、 全国各地から行き場のない薬物依存者がこの宮崎に訪れた。 開設から今まで延べにして何人だろうか? 私自身がそうだったように来所する依存者全員に共通していることがある。 無表情 (絶望感からか) で 『普通の生活がわからない』 という……。 薬物依存者によって人間らしい感情、 ふれあい、 信頼感などはどこかに置き忘れてきている。 愛情に飢えている。 それが、 薬物依存者本人の私には痛いほど理解できる。  《この扉の向こうに愛があります。 ダルクの扉を開けてきた人はみんな家族です》私が再生された名古屋ダルクで出会い、 その後も心の支えになったダルクのモットーとも言うべきこの言葉が宮崎ダルクの入り口にも掲げてある。 しかし、 この愛というのが難しい。 私自身30年あまり薬物で苦しんだ経験があり、 ましてプログラムにつながってからもスリップ (薬物の再使用) の痛い体験者であるため、 思わず <転ばぬ先の杖> を出してしまう。 そのために、 いつのまにか過保護になっていた。 責任者として着任した直後、 薬物依存症の再発によりシンナー吸引中になくなったN君、 周期的にスリップを繰り返す仲間、 クリーン (薬物を使わない事) は続いてきても自分自身に喜びを見出せない仲間……かつての自分の姿だとは思いながらも、 「私に何かできる事はないか!?」 と悩み考えるようになっていった。  かつて、 スリップした後に、 AAのメンバーに誘われて木工製品を作り始めたことがあった。 毎日の生活の中で薬物にとらわれ続けた時間を、 何かを作ることに費やした。 最初は思うようにいかず四苦八苦したが、 完成したときの喜び、 製品として売れたときの充実感、 それに何よりも、 気が付くと薬物にとらわれずに過ごした一日……すべてが新しい感激だった。 薬物依存者は、 ずば抜けた完成や創造性を持ち合わせた人が多い。 試しにやり始めた作業プログラムが予想以上の効果をあげ、昨年は福祉バザー等にも出展するようにまでなった。 今年度より、 宮崎市の共同作業所としての認可、 助成を受け、 薬物依存者の社会復帰のリハビリテーションプログラムに組み込み、 各自の創造性を生かしながら、 木工を始め、 縫製、 アクセサリー等、 作業内容も充実してきている。 どうぞ、一度ご来所ください。 そこにはダルクという小さな社会の中で、 懸命に生きようとしている姿があるはずです。 (精神保健みやざき1997年宮崎県精神保健福祉協議会第37号)に掲載

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